夜光
 
園下美桜  


地曳一樹さん画
 夜の帳が辺りを包む頃、オランの一角にあるきままに亭はいつものように冒険者で溢れていた。が、店の中はその繁盛振りには似合わぬ程静まり返っている。
 その中に響く声はただ一つ。店の中央の空いた空間に一つ置かれた椅子に腰掛け、吟遊詩人が一人、自ら竪琴を奏でながら歌っているのだ。
「彼の国を建てし若き侯爵フェルディナンド 未だ讃えられるやその勲し……」
 男にしては高めだが深みのある声で、紡ぎ出される糸の如くに歌詞がするすると流れ出していく。
「彼を支えしは北の国の乙女 美しきヒルダ」
 歌の内容は昔からある、よく知られた英雄譚の一つである。だが、人間以外の者が人間の英雄を讃えるというので、聞き慣れた歌もまたひと味違って感じられるようだ。
 エルフならではの長い指が、膝で支えた竪琴の弦を歌に合わせて器用にはじいていく。弦は店の照明の光を反射して、音が流れるのに合わせて銀の光をちらちらと辺りに撒き散らす。
 詩人の声もその指の動きも、流れる川の如く、自然で淀みなかった。
「そは今も昔の物語 聖の時代の物語……」
 朗々と歌い上げ、その吟遊詩人、キオ・ミホコノは、歌の余韻を噛み締めるが如く、瞳を閉じ、弦を爪弾いていた手をゆっくりと下ろした。
 と同時に、それまでしんとしていた店内は拍手と歓声で一気に騒がしくなった。大勢の賛辞を受けて、キオは閉じていた目を開け、椅子からぱっと立ち上がって照れ臭そうに一礼する。その仕草は先ほどまでの歌っていた彼とはうって変わっていて剽軽にさえ見えた。
 その様子を、同じエルフであるフィアル  フィアルーク・ラン・フェルシアスは、人の輪から外れたカウンターの端の席から眺めていた。彼は珍しく口元に穏やかな笑みを浮かべて詩人の歌を聴いていたが、それが終わり、キオが口々に称賛の言葉を述べる観客たちに囲まれるのを見届けると、身体の向きを正してまた一人で食事を始めた。

「失礼」
上からの声にフィアルが面を上げると、キオが笑顔で見下ろしていた。歌の報酬をマスターからカウンター越しに受け取ったあと、フィアルの座っている端までやってきたのだ。
「あれ」
 フィアルの隣りの席に腰掛けながら、何かに気付いたようにキオが言う。今度はエルフ語でのセリフである。
 二人とも共通語での会話に全く不便はないが、やはり一世紀以上、キオに至っては二世紀もの長い年月使ってきた言葉の方が、遥かに使いやすいし誇りや愛着もある。
「フィアル君、お酒ですか? 珍しいですね」
 食事の皿は既に下げられていて、フィアルの前のカウンターテーブルには代わりに小さなワインのボトルが置かれ、彼の持つ銅のカップにはその中身と同じ赤く透き通る液体が入っている。キオが指摘したとおり、彼が酒を飲む姿は珍しいものだった。
「ああ……。たまにはな」
 カップの内側で光を映して揺れる赤い水面に目を落とし、彼はそう、曖昧な返事をした。そしてカップを口元に運ぶ。
 色素が薄いためにその頬は血管を透かしてほんのりと染まっているが、口調も視点もしっかりとしたものである。
 先ほどまでキオの歌に聞き惚れていた店内の客は、今は皆それぞれのお喋りに夢中でこちらに注意を向けるものはいない。静かにワインを飲むフィアルの様子を、キオは見るともなしに見ていたが、ふと、口を開いた。
「皆さん……、いい人達ですね」
 言われたフィアルは、一体何を言い出すのかとでも言いたげに怪訝な顔をキオに向けたが、詩人はそれに構わず言葉を続ける。
「エルフの私が歌っているのに、そんなこと気にせず一緒に歌って踊って下さる」
そう言って、にこやかに微笑む。
 その微笑みにつられたかのように、フィアルも顔を和ませる。そしてまたワインを口に含んでゆっくりと飲み込んでから、静かに尋ねた。
「いつか……、この店のことも歌い、語り伝えていくつもりか?」
訊かれたキオは一瞬僅かに目を見開き、愉快そうな笑いをフィアルにはわからないよう、微かに口元に浮かべた。そして、一呼吸置いて答える。
「……そんな未来のことは、わかりませんよ」
瞳を閉じて穏やかに優しく、そしてどこか淋しげに、キオは言う。
「そうか……」
フィアルの顔にも優しく淋しく、そして皮肉を含んだ笑みが浮かんでいた。
 フィアルはゆっくりと静かに、ワインを味わっている。その隣でキオも片方の手で頬杖をついたまま、何かに思いを馳せている。
 そして暫し、喧噪の中、二人の間に沈黙が流れた。

 フィアルはふと思い付いたように面を上げた。
「マスター」
カウンターの向こうの端で別の客と話していた店の主に声をかける。
「カップをもう一つ出してくれないか」
「おうよっ」
 フィアルの意図を敏感に察し、マスターは威勢のいい返事をして、フィアルの持つカップと同じものを戸棚から取り出す。
「はいよ、お待ちどおさん」
「ああ」
 フィアルは相手の様子には全く頓着しない様子で、軽くマスターに答えながら、まだ半分ほど残っているワインのボトルに手を伸ばす。そして中の液体を、二人の間に新しく置かれたカップにそそぎ始めた。
「あっ、駄目ですよフィアル君、君のお酒じゃないですか」
彼の意図するところをようやく理解して、キオが制止の声をあげる。
          . . . .
「いいだろう? たまには」
 フィアルはにやりと笑ってみせた。
 そう言われてキオも相好を崩す。フィアルと違って元々大の酒好きなのである。
「そうですか……? ……じゃあ、お言葉に甘えて」
実に嬉しそうに満面に笑みを浮かべ、カップに手をやった。

「乾杯」
 二つのカップが打ち合わされ、軽い音が響いた。銅の板のぶつかる音は、美しく澄んでいるとはお世辞にも言い難かったが、二人のエルフには無上の夜光の杯の響きにも聞こえただろう。
<終>  
 
 
<後書き1(会誌用)>
 超短編ですが、私の二作目の小説です。淡々とした話を書きたいと思って書いたのですが、如何でしたでしょうか。一応エルフ二人が主役のつもりなのですが、矢張りフィアルが主人公っぽい??
 元々この話は漫画で描くつもりだったのですが、コンテを切ってみたら(下描きも少しやっていた)滅茶苦茶顔マンガになってしまったので急遽文章形式となりました。漫画だと全然そんなことないのに、文章だと狙ってるような感じがするのは何故……。元々の絵のイメージをなるべく詳しく伝えられるように描写しているだけなのですが。
 キオについては地曳嬢に伺ったことも少しありますが、殆どが私の勝手な想像によるものです。「こんなのキオじゃない」とか言われないかどうかかなり不安ですが。いや、勿論言って下されば次に活かすことができますが。
 そういえばキオの歌う歌は結構趣味に走ってしまっています。大分遠慮はしましたが、元ネタわかる方はいらっしゃるでしょうか……。二人は確実。
 それではまた。
<後書き2(ウェブ用)>
 この話はTRPGサークル「きままに亭」の会誌用に書いたもの。ソードワールドのキャラを一人一キャラ持ち寄りで、冒険者の店「きままに亭」を舞台に、セッションをしたり創作をしたりしようという会(だった。過去形)。会誌の出る雰囲気がないので自分のサイトに載せてしまいました。基本的に会員の(だった?)方でないと面白くないと思いますが……。
 作中のエルフ(男)でソーサラー(魔術師)のフィアルーク(イラストでは左)は私の、もう一人の男のエルフでバード(吟遊詩人)のキオ(イラストでは右)は地曳一樹嬢のキャラで、イラストも彼女、マスターは人間の男性できままに亭の会長様のキャラです。
 イラスト、色はこちらで付けました。キオの色違ってたらごめん。サガフロ2の画面のような感じにしたかったのですが、如何なもんでしょ。
 しかし女が書くフィクションというのは大概そうですが、酔ってますね。読み返すと気恥ずかしいんですが、まあ気に入っていたものなので恥を忍んで。
 ところで‘地曳嬢のイラストを寄越せ’と会長に掛け合ったらこちらはデータのつもりが生原稿が送られてきた……。いいのか。
 それではここから先に読まれている方は文頭にジャンプ!

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