インフェリア人とセレスティア人の、身体における最大の相違点についての考察
 
キール・ツァイベル  

園下美桜  
「へんなキールは、いいよ。ほめられると嬉しいよ!」
 メルディはそう言って、ふわふわの巻き毛を揺らし、本当に嬉しそうにぼくに微笑みかけた。変だなんてご挨拶だが、この笑顔の前には、そんなの些細なことだ。ここのところ、無理をして作った笑顔しか見ていなかったから、こんな表情を見るのも久し振りだ。
 インフェリアとセレスティア、二つの大地に挟まれた界面上に、人知れず存在し続けていたセイファート観測所。ぼく達はガレノスの要望に従って、再びそこを訪れていた。
 だが当のガレノスは、ぼくらに気を利かせたのだろう、メルディと入れ違いにさっさと出て行ってしまったし、いつもメルディについて回っている青い毛玉の姿も見えない。
……これは、俗に言うチャンスってやつじゃないのか? ガレノスめ、長く生きてるんだし、気を遣うならもう少しわかりにくいようにも出来そうなものだとも思ったが、恩人に感謝こそすれ悪態をついてもしようがない。
「キール、しばらくへんなままでいて……こうしててな」
 メルディはいつの間にかぼくのすぐ横にやって来て、とん、と肩に頭をもたせかけてきた。
 いつもなら真っ赤になって振りほどくところなのだが、今日は違う。誰も見ていない、二人っきりだ。いや、セイファートはご覧になっているのかもしれないが、いつも怒っているなんて不本意なことを言われてしまった分も挽回せねばならないし、少しくらいこの状況を利用させてもらってもいいじゃないか。
 ともかく落ち着け、キール・ツァイベル。千載一遇のこの状況、この雰囲気。もしこんなことが千年に一度しかないのだとしたら、まことにもって呪われた話だが。
……そうじゃなくて。こうして、というのがどの程度の状態をどのくらいの間持続しろということなのかはわからないが、ただずっと同じ体勢のまま突っ立っていろという意味ではさすがにないだろう。
……つまり。キスくらい、しても、ばちは当たらない、よな……?
 そんなこちらの内心の葛藤など知る由もないのだろう、メルディは穏やかな笑みを浮かべてぼくにもたれかかっている。この均衡を崩すには、かなりの勇気が必要だが、いつ仲間の誰が入ってきて邪魔をされないとも限らない。今のこの時間は永遠ではないのだ。
 ぼくは意を決して、メルディのあごに手をかけた。きょとんとした薄紫の瞳がまっすぐに見返してくる。
……やりにくいなあ。ぼくがこれから何をしようとしているのか、察しているのかいないのか。……いないんだろうな、どうせ。
「目を、閉じてくれないか」
 ぼくがそう言うと、素直に目を閉じてみせる。……おい。普通気付くだろ……。もう少し恥らう様子とか、警戒心とか、見せてもいいだろうに、口元に笑みまで浮かべて、一体何が始まるのかと好奇心を抱いてさえいるらしい。
……頭の中でつっこんでばかりいても、一人で疲れるだけな気がする。ぼくがいつもお前にペースを乱されてばかりいると思うなよ? 今日はこっちが驚かせる番だ。
 意地とやけも手伝って、ぼくは軽く腰を折り、メルディの唇に自分の唇を重ねた。さすがに何が起こったのかを理解したらしい。メルディがビクッと体をすくめたのがわかったが、すぐに力は抜ける。……よかった、拒まれて、折角のいい雰囲気が壊れてしまわなくて。
 メルディの唇は、何を食べたらこんな風に育つんだと思うくらい柔らかで、心地よかった。先ほどまでの取り越し苦労が癪に障って、離れる直前、舌でメルディの唇をなぞってやった。……このくらい、許されるよな?
 目を開けると、メルディはさすがにちょっと驚いた顔をしていた。が、すぐに
「えへへ、キール、嬉しーよ」
と、ほんのり頬を染め、極上の笑みを浮かべて言うのだ。可愛いなこいつ……。
 メルディがこんな表情を見せるたびに、ぼくの心拍数は情けないくらい簡単にはね上がる。鼓動が目の前の彼女にまで聞こえているんじゃないかと思うほどだ。
 いつからだろう、こんな風になるようになったのは。きっと顔も赤くなっているんだろうな、自分でも、熱を持っているのがわかるんだから……。
 それでも努めて、ぼくは平静を装った。口にこそ出さないが、ぼくだって嬉しい。キスをして嬉しいと言われたということは、おそらくメルディも、憎からずぼくを想ってくれているということで。
 正直言わせてもらえば、以前からそんな気は薄々していたのだが、もしかしてただの自惚れではないかと気が気ではなかったから。
 もう一度、メルディの顔に右手を添える。今度はメルディもぼくの意を察したらしく、自分から瞳を閉じた。
 添えた手の平から、メルディの頬の熱が伝わってくる。こいつもぼくと同じ、照れているんだ。そう思うと、ちょっとほっとした。
 今度はその、熱くなった頬に唇を寄せる。次いで、緩く閉じられた両のまぶた。長い睫毛がふるふると揺れて、頬に影を落としている。美少女、というのはこういうのを言うんだろうな、と、つい柄にもないことを考えてしまう。
 柔らかな前髪にも軽く口付けた後、左手でそれをかきあげて、その下のおでこ。そして、淡い桃色の光をゆっくりと明滅させている、ひたいの石。
 

「ひゃうっ」
「へっ?」
 メルディが突然変な声を出すから、つられてぼくも素っ頓狂な声をあげてしまった。何だ? 一体。
「どうしたいきなり。……嫌だったか?」
「ち、違うよぅ、……嫌じゃないよう。ただ、何だか変な感じがして……」
「変な感じ?」
 それってやっぱり、嫌がられてるんじゃ……。
 不安が顔に出てしまったのだろう、メルディは慌ててかぶりを振る。
「キールがエラーラに……キス、すると、背中とか、おなかとか、ゾクゾクぅっとして……でも、なんだか、ふわぁっとして……。くすぐったいような、痺れるような、変な感じ……。うまく、言えないよ」
 毎度のことながら整合性のかけらもない説明に、たっぷり数秒間悩まされたが、それって……もしかして。感じてる、ってことか?
 ひたいの輝眼は、心なしか先程より鮮やかな光を浮かべ、しきりに明滅を繰り返している。ぼくがしげしげと見つめるので、メルディは小さな体をますます縮こまらせたが、それよりエラーラそのもののほうが気になる。
 まさかとは思いつつ、ためしに親指の腹で撫でてみた。
「いやぁんっ」
 途端にメルディは、今までに聞いたこともない甘ったるい声を出して、背中を仰け反らせた。ぼくが慌てて支えなければ、そのままくずおれていたところだ。……おいおい、触っただけだぞ?
 ぼくは自分の推論が当たっていたという、普段なら至極当たり前の現象に、軽い衝撃を受けた。なるほど、以前、あれは岩山の観測所にて初めて会った時のことだったか、エラーラに触れさせてくれなかったわけだ。
 確か以前聞いた話によると、セレスティア人に生まれながらに付いているこの第三の目は、意思疎通の補助をし、感情によってその光の色を変え、また暗いところでは明かりになるということだったが、まさか肉体的な快楽をも生み出す器官、平たく言えば、非常に敏感な性感帯でもあったとは。
「やっぱり嫌なんだ?」
「い……やじゃない、でも……」
 ぼくが面白がっているのを表情から読み取ったのだろう、メルディは居心地悪そうにして、腕の中から逃れようとする。だがそうはいくか。
「でも?」
 ぼくが尚のこと食い下がるのに降参したらしい。メルディはばつの悪そうな表情のまま、ぼそぼそと言葉を続けた。
「なんだか恥ずかしい、けど、気持ちいいよぉ……っ。キールに、エラーラ、もっと、触って欲し……」
「ほお……。じゃ、遠慮なく」
 本人からわざわざご指名でお許しが出たのだ、こんな面白いことを見逃してたまるか。
 だが内心のたくらみを気取られぬよう、ぼくはあくまで優しくメルディの体を支え、途中で誰かが入ってこないことを祈りつつ、光を放つ石へと唇を寄せた。
 

「ふあぁっ!」
 一見生体の一部であるとはとても思えない硬い石の表面に、ただ触れるだけの軽いキスを送っているだけなのに、メルディはこちらが呆れるくらいに声をあげて、よがる。ぼくが触れるたび、小さな体全体をこわばらせ、甘い悲鳴と熱い吐息をもらす。苦しげな表情は、だが赤みを帯び、闇の発露におびえていたときのものとは全く異なっている。
「あぁんっ、いや、や、やあぁん」
 きっと、こういうのを嬌声というんだろうな。そう認識した途端、ぼくの鼓動は早鐘のようになった。幸か不幸か、メルディのこんな声を、こんなにも早く聞けるとは思ってもみなかったけれど。
 触れるたびに、エラーラがだんだんと熱を帯びていくのがわかる。そのうちキスだけでは飽き足らなくなり、舌で表面を撫でると、メルディの息はますます乱れ、体はぴくぴくと小刻みに震えた。
「は、あぁぁぁぁっ、キール、もっと、もっとぉぉ……」
……ここまで激しく反応されちゃ、こっちまで変な気分になってくる。こんな声を盛んに出されて、思考がかき乱されないわけがない。
 どうせこの嬌態じゃ、ちょっとくらい悪さをしてもわかるまい。おまえが誘うようなことをしたんだぞ、と頭の中で言い訳をして、ぼくはメルディを支えるのに右腕だけを残し、空いた左手で小さな、……ほんとに小さいな……、ふくらみに、そろそろと触れた。
 食むようなキスに加え、ちょっと服の上から胸を揉んでみただけなのだが。
「いやあああああっ、キールぅぅぅぅっ!」
 一際甲高い悲鳴をあげたかと思うと、メルディはぼくの腕の中でくたっと伸びてしまった。
「え、おい! メルディ?」
 慌てて呼ぶが、反応はない。……失神、させてしまった。ちょっと石と胸に触れただけなのに。
 普通に女性を愛撫したことだってないのだから、相手を気絶させるなんてのも当然初めてだが、今のが女性がイく、ってことなのか? こんなにお手軽でいいのか? もしかしてセレスティアの人間は、みなエラーラ一つでこうなるのか……?
 呆然としたまま、ぼくはメルディを床に寝かせた。落ち着いて考えをまとめようとすると、先ほどの彼女の様子、特にぼくの名を呼ぶ声と、自分の大胆な行動が思い返されて、再び顔が熱くなってくる。
 はやる呼吸を整えようと、メルディに背を向けて座り込んだ。何もしていないはずなのに、なんでこんなに疲れた気がするんだろう……。
 

 メルディは今やすっかり寝入ってしまっている。規則正しい寝息と、邪気のない安らかな寝顔。さっきの乱れた姿が同じメルディだなんて、ちょっと信じがたい。
 このところ気が張り詰めていて疲れていたのだろう。先ほど強い光と熱を放っていたエラーラも、普段どおりの淡く優しい色に戻っている。起こすのも忍びないが、このまま足元に転がしておくわけにもいくまい。ここには寝台はなかったはずだし、せめてバンエルティアまで運ぶか。
 ぼくが思案に暮れていると、そこへリッドとファラ、我が腐れ縁たる幼なじみ二人が入って来た。
「やっほーキール。何かわかったー?」
「あれ、メルディどうしたんだ?」
「……いや、ちょっと目を放したら眠ってた」
 ちょっと悪戯したら失神させてしまいました、などとはさすがに言うわけにいかないので、適当に取り繕う。
「ふぅん。ま、色々あったもんな。疲れてるんだろ」
「そだね。でも床に寝せとくわけにもいかないでしょ。ここってベッドとかあったっけ?」
 こいつらは単純で助かる。今日のぼくにはセイファートの加護でもついているのか、それともこの場が祝福された場所なのか。何にせよありがたい。……そう、思っていたのに。
 そこへぼくの思惑を裏切るようなメルディの寝言が、かすかに聞こえてきたのだ。
「キールの、えっちぃ……」
「……………………」
 途端に流れる沈黙と、ぼくに突き刺さる二つの冷たい視線。なまじやましいことがあるだけに、一度引いた血が、みるみる顔に集まってくるのがわかる。
「……オメェ、メルディに何したんだ?」
「キール、メルディに何したの?」
 毎度のことながら、舌を巻くほどに息ぴったりの二人の声。こんな時にまでハモらなくてもいいだろうが。
 ともかくぼくは、自身の名誉のために叫んだ。
「な、何もしてないっっ!」
 

 そう、キスだけしか。キスしかしていないんだ。ぼくは、メルディに。……いや、胸も触ったけど、それは服の上からで。抱きつかれた時に手がぶつかってしまったことだって、今までにも何度かあったわけで。……それなのに。
「よ、えっちなキール」
「だから、誤解だっ!」
「誤解? 誤解ってことは、正確には何したのよー。白状なさい」
「あはは、キール、えっちなのかー?」
「だから何もない! 元はと言えばお前のせいだろうが!」
 その後しばらく、ことあるごとにこんな会話が続くことになるのだ。
 メルディはあの日のことをよく覚えていないらしい。ちょっと惜しい気もするが、事実をべらべらと喋られるよりはいいか。
 ともあれ、結局いつものごとく、からかわれるのはぼく一人なのだ。ああ。
      
 
後書き
 とある癖から変換の基準を作中に倣ったら仮名ばかりになってしまいました。さておき。某所に投稿した作品を多少修正したものなので似たような内容の文章を見掛けたことがある方がいらっしゃるかも知れませんが、投稿先にてこのサイトについて言及なさったりリンクを貼ったりといったことはおやめ下さいませ。
 まあこれはあくまでネタというかギャグのようなもの(全く笑えませんが)であって、こんなこと実際には万に一つもない筈ですが。これが本当だったら、エラーラを押し付けて使うエラーラ電話でも凄いことになるでしょうし。
 ていうかそれ以前にセリフ確かめるためにプレイし直したら、二人の方からバンエルティアに戻って来てるんですよね。まいっか……。

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